韓国は日本固有の領土。
- 51名無し2017/01/21(Sat) 19:40:17(4/17)
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>>49
http://emigration-atlas.net/society/abo-blood-type.html
B型の割合はヨーロッパは少ないかな?
蒙古の版図と大体重なると思うが。>>50
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7308.html
歴史的重要な部分
4.約2400年前、3と同じルートで、モンゴル付近をルーツとするA型(およびB型)新モンゴロイドが渡来(O型・B型の縄文人を北へ追いやり、稲作を伝え弥生文化を創成。A型が西日本で多い理由)思金に構うやつ「が」馬鹿
隔離スレ逝け歴史と勢力版図が人口爆発とも重なる。
日本では弥生時代に、韓国から渡って来たA型の韓国人が日本で人口爆発した。
蒙古では、蒙古時代にB型の人口爆発が起きた。
まあ、大雑把だが、こんな感じだろう。>>60
時代が古すぎて無理だと言うなら、血液型で論じてる自分がどれだけ愚かなのか分かりそうな物>>68
ありがとう。やってみましょう。
俺は地学も旧石器は碌に分からないから間違いもあるとは思いますが、
今こそ志ある者は来たり力を貸せよかし、と言う事で。>人類がアジアへ移動を始めた頃は氷河期だった。
正しい。
>シルクロードは氷に覆われており、植物がない。
下図を参照。20000年前から18000年前にかけての最終氷期最盛期(LGM)の
氷床の最大範囲を示したものであるが、
中央アジアを完全に覆うまでには至ってない。
(成瀬 2006)
>騎馬民族でも通れない。
家畜の馴化が発生するのは西アジアにおける紀元前7600年前以降の
Pre- Pottery Neolithic B(PPNB)期から。(大浦・常木・西秋 1997)
そもそも家畜の馴化を指標の一つとしていたのが新石器時代。(Childe 1951)
時代が全く異なる。
>対して海の道は暖かく食料もある。
後述します。
>よってアジア人は南側のルートを通り、イラン、インド、インドシナ半島、フィリピン、の順に到達したはずである。
Sundalandから北上する南のルートに関してはその通りだが、
中東のステップ平原を経由してヒマラヤの北側からシベリアのバイカル湖畔に至るルートが存在する。(小田 2014)
図版出典:(成瀬 2006)>日本人はフィリピンや台湾から黒潮に乗って北上した集団と考えられる。
列島「最古」の旧石器文化である第1a亜文化期(35000~32000年以前)と
若干遅れて出現する石刃や礫群と呼ばれる遺構に代表される第1b亜文化期(32000~2800年以前)の旧石器文化は
両者の間に「発展的関係」が読み取れず、かつ層位的に重複して出土することから、
「源郷」の違い、つまり、第1a亜文化期のものがSundalandを起源とした「南の旧石器文化」、
第1b亜文化期中国から韓半島を起源とした「北の旧石器文化」であると指摘されている。(小田 2014)
また、本州島と北海道島とでは時期が異なるものの、後にはシベリアからの細石器文化の流入があるため
「縄文人」と言う意味で「日本人」の語を用いたとしてもそのように論じることは難しい。
>この頃に中国や韓国には人類はいない。
いる。
現代型ホモ・サピエンスの出土人骨のうち
内蒙古自治区のシャラオソゴル遺跡出土人骨で約3.7万年前から5.0万年前。(加藤 2000)
北京で発見された田園洞人が約4万年前。(田中 2016)
また、近年雲南省張口洞遺蹟から現生人類の歯の出土があり、
年代測定の結果が正しければおよそ10万年前から7万年前にかけて。(加藤 2013)
韓半島の事情については当人らから聞くように。と、いうか俺がぜひ聞きたい。
読んだけど難しすぎて頭が固まっちゃった。
図版出典:(小田 2014)>文明が誕生したのは、東南アジア、日本、中国、朝鮮半島の順である。
C. Renfrewは「文明」の語を次のように定義している。
『しかし、ここで言う文明、多くの考古学者によって定義された文明とは、それ以上の何かを意味している。
それはもっと複雑な社会の事で明確な社会成層をもつ。すなわち、通常そこでは、王や神官が都市に住み、
フルタイムの専門職人がさまざまな上等な品物を作り
王宮とか神殿、あるいは都市社会とかに基礎をおいて、恒久的な中央集権的組織がしばしば文字を用いつつ機能する。
(中略)
ある特定の古代文化を文明とみなすかどうか、それを決めるとき、考古学ではいくつかの目に見える特徴を探すわけであるが、その中には次の3点が入っている。
すなわち、相当程度の人口集中を示す町、神殿とか宮殿とかいった記念碑的建造物、そして文字である。
文明と呼んでよいような社会のほとんどが、これら3つの要素のうちの少なくとも2つは持っている。』(Renfrew 1979)
中国は遅く取っても紀元前14世紀の甲骨文字の出現で3つの要素を満たすようになる。
東南アジアだと南越国あたりからか知らん?
紀元後1世紀以降には確実に3つの要素が東南アジア各地でそろうようになってくるだろうと(坂井・新田・西村 1997)
で、韓半島も都城の成立や文字の使用、あるいは墓制の変化を鑑みるに
列島よりかは先行することはあっても遅くなるって事は無いんじゃないかと
楽浪郡設置あたりに3つの要素がそろった時期を置いていいのかな?
すると中国>東南アジア・韓半島≧日本
と、いうことになるのではないかと。とにかく東南アジア→中国ってのは嘘ですよ。
>だから日本の縄文時代の遺跡に1万以上の土器があるのに対し、中国では300くらいしか見つからない。
>韓国では土器が1つ見つかっただけで大騒ぎ。
このくだりに関しては何についての言及かいまいちわからない。
>正しいですか?
以上の点が問題であると俺は考えます。
図版出典:(小田 2009)※参考文献
『中国北部の旧石器文化』 加藤 信二 同成社 2000年
『文明の起源(上)』(Man makes himself) V.G.Childe ねず まさし訳 岩波新書 1951年 第一刷
『文明の誕生』(BEFORE CIVILIZATION The adiocarbon Revolution and Prehistoric Europe)
C.Renfrew 大貫 良夫訳 岩波書店 1979年
『世界の考古学8 東南アジアの考古学』坂井 隆/新田 栄治/ 西村 正雄 同成社 1997年
『世界の考古学9 西アジアの考古学』大津 忠彦/西秋 良宏 /常木 晃 同成社 1997年
『第四紀学』 町田 洋/大場 忠道/小野 昭/山崎 春雄/川村 善也/百原 新 朝倉書店 2003年
『新しい旧石器研究の出発点・野川遺跡』 小田 静夫 新泉社 2009年
「考古学から見た中国における旧人・新人交替劇」 加藤 真二 『ホモ・サピエンスと旧人―旧石器考古学から見た交替劇』 西秋 良宏 編 六一書房 2013年
『考古調査ハンドブック9 旧石器時代』 小田 静夫 ニューサイエンス社 2014年
「中国の前期・旧石器文化」 加藤 真二 『考古学ジャーナル』No.687 ニューサイエンス社 2016年
※:(小田 2014)ではシベリア到達が3万年前に繰り上がってる。理屈の上に理屈を積み上げ理屈を塗りたくった旧石器時代の話は俺の頭じゃ基本的に読んでも理解できないぬ……
>>67
そもそも頭が腐ってる貴方をみんなが放置してるのを論破したとか思ってるの?
で、構ってくれる人が居ると、存在意義を見出してしまうような異常な思考だから頑張っちゃうんでしょ?
本当に欠陥だらけの人だね。
自分はソース出せない癖に相手には要求するとか、思考が腐ってる。
NGにされて当然でしょうよ 欠陥品め。
相手にした自分が本当に愚かでしたよ。 欠陥品は所詮欠陥品なのね。
どうしようもない。>1
なるほどね。北からのルートもあったんだろうが
量的には南からが圧倒的だったんだろうということが理解できた。- 78名無し2017/01/22(Sun) 07:27:51(14/17)
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>>79
同じA型でも別系統だ。
発生年代と移動経路が異なる。
まあ、統計資料もブレがあるので、一部資料だけでなく、多方面から見る必要があるだろう。
まあ、本土のA型は弥生人といっていいほどの割合だ。大田広域市の龍湖洞遺蹟(용호동유적)で
韓半島で一番古い年代に位置づけられている
後期旧石器段階の指標とされている石刃の剥片尖頭器が出土している
これがだいたい4万年くらい前である……と、ある文献で読んだ
韓半島での新人の拡散ってだからこの時期から?
それとももう少しさかのぼります?>>82
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7308.html
日本ではこれだから、どうだろう。
1.約2万年前、南方系モンゴロイドが黒潮に乗り、また海岸沿いに太平洋岸に到着(インドネシア、フィリピン方面のO型の人々。沖縄や太平洋岸でO型が多い理由)
色々な資料を見るべきだね。>>81
武田邦彦さんは物理学者で現在は環境学をやってらっしゃるので、自分で氷河期の氷の位置を計算したのでしょう。東京大学出身で、原発の開発もやってらっしゃるので、大学教授の中でもかなり上の能力をお持ちです。ご存知でしょうけど、原発は東京大学の中でも最も能力の高い人間が開発していたのです。>>83
先生のことはスルーしてりゃいいが
金魚の糞みたいについてくる先生のファンが面倒くさいんだから
エベンキスレにでもいらっしゃっててくださいよ
論破したがり屋さんがわんさときてあっという間にレスバトルで数十レス流れるんだから>>81
西洋における『文明』という言葉の定義は、(旧約)聖書の「6000年前に人類が誕生した」という文から生まれているでしょう。
進化論のために人類発生は6000年前ではなくなった。しかし、神(聖書)は嘘をつかないはずである。西洋人は言い訳を探した。6000年前にイスラエルの近くで文字、水道、火、芸術活動、が始まっていることに注目した。
人類とは知能や遺伝子で決まるのではない。人類とは高度な文化、つまり文明(civilization)によって定義されるのだ。
ということで文明という言葉が生まれ、その定義はイスラエルと同じように文字、水道、火、芸術活動が存在し人口が密集していること、とされた。
しかし武田邦彦さんは愛国者でして、西洋の定義に従いません。勝手な推測ですが、「縄文時代の平和で自然と調和の取れた生活こそが最も優れた文明である」という立場だと思います。思金は最初から自分の信じたい結論を元にループするパターンだしな。
こんなのにコメントを書くだけ時間の無駄ってもんだよ。>>87
出稿されている論文もネット経由だと限られるからね。
最新の資料が発掘されればまた変わるかも知れないが。しかし武田センセイが愛国者であるなら俺は愛国者にはなりたくないものです。
>>90
すぐに破壊、崩壊が起きて長続きしない西洋文化よりも、
自然との調和により世界最長1万年以上続いた縄文文化の方が価値が高いと言われればそうかなと思うでしょう。
ちょうど今、自然との調和が人類の課題になっていますし。>>90
西洋こそが聖書の空理空論に拘っているように見えますがね。北方の寒冷地仕様の体質だと熱発生などがあるが、シベリアの場合、これらがネアンダール人?から分岐し人間のものだったかゲノムのデータを見た記憶。
縄文人はかなり複雑に渡来してきているので均一性がなく3000年前頃まで南北でバラバラ。沖縄の場合は中国南部やジャワ方面だとか。面白いね。>>95
地図を、どの角度に傾けようと、日本海は中心に在ると言えば在る。無いと言えば無い。
論理的にと言うより、地図を傾けても、地形は物理的に変化はしないと思うけどな。少なくとも、お題の時代には「地図」は無いし、そんな認識は無い。そう思えてしまう自分は、意地悪なのだろう(笑)。
まあ、その感覚的な想いを肯定的に持って行くには、繁殖が可能な程度の「ヒト科の哺乳類」の群れが、海路をどの様に克服したのか?道なき陸地をどう走破したのか?それを補足しないと説得力は無いと思うよ。
確かに、海峡の結氷で歩いてとか、流氷に乗ってとか、土石流や津波により流出した樹木に乗って漂着とか、一般の「哺乳類」と同じ渡航も在るだろうが、「ヒト科の哺乳類」は、自然を観察し海の道を識り、風や海流、波を利用したり、櫓や櫂の技術を経験の中から洗練させる生き物であることを忘れちゃいけないと思うよ。
渡り鳥や蝶の渡海は季節風の利用であるし、白村江の戦い以降の遣唐使や勘合貿易に至っては、台風や低気圧の東風利用だったりもする。
氷河期の移民
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