『ハメルの報告書』には、朝鮮に清の使臣が来るたびに、自分たちはソウル付近の南漢山城に送られて外出が禁止されるなどの王命を受けたと記述されている。 朝鮮はそれほど清に圧迫されていたため、朝鮮にとってハメル一行は非常に気を使う存在であったことがわかる
ハメル一行がソウルに滞在していた期間に、4回に渡る清の使臣のソウル訪問があった。
1655年3月に清の使臣がソウルに訪問した時には、朝鮮政府の憂慮していたことが現実となった。
以前と同様に、ハメル一行は外出禁止となり、違反したら厳罰に処すという指示が下されていたにも関わらず、一行中の2人が居留地を脱出して清の使臣の帰国行列に入り込み、自分たちをオランダの本国に送還してほしいと要請する事件を起した。
結局この事件は、清の使臣に賄賂を送るという手段で無事に乗り越えることはできたが、朝鮮政府においてはやはりあってはならない面倒な事件であった。後にこの脱出事件の主犯格の一等航海士とBosは獄死した。
ハメルは、自然死または処刑されたのかも知れないと記述しているが、これに関連する朝鮮側の史料(『孝宗実録』孝宗6年)を調べると、南北山という名の航海士 Hendrik Janseは牢屋でいらいらして何も食べずに病死したとあるが、 南二安については何の言及もなく確認することができない。
ハメル一行は、この事件を事前に知っていたのかどうかについて尋問を受けた後に、逃走は不可能であることを痛く身にしませるために1人50回ずつ棒でたたかれる処罰を言い渡された。
しかし、その後のハメル一行に対する朝鮮の警戒は厳しくなり、事件の後に2回に渡る清の使臣の入城があったが、その時も厳重に監禁された。
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日本の漂着地
朝鮮を脱出するのに成功したハメル一行の8名は、1666年9月5日には朝鮮人たちが追撃するのを恐れて、船の帆が目に付かないように帆を下ろして櫓を漕いで航海を始めた。 夕方頃には西風が継続して吹くので狂いそうになったが、その時には、朝鮮領域の最も端の部分であったために、再び捕まるかも知れないという恐怖感からやっと抜け出すことができた。
http://www.hamel.go.kr/jp/hamel05_02.html>>1
너는 섬짱깨인데 왜 한국에서 탈출하지 않는거냐? 빨리 한국에서 나가라.>>3
こんな記録ばっかりなんだよな(笑)中国人が見ても、ロシア人が見ても、日本人が見ても、アメリカ人が見ても、イギリス人が見てもこんな記録ばっかり。>>3
何が凄いって、300年以上前のその発言が未だに有効だということ。『ハメルの報告書』によると、一部の高位の官吏は、一行に武器を与えて死ぬまで争わせれば、王が外国人を露骨的に殺害したという怨声を聞くことはないであろうという提案もあったと記述している。
朝鮮人あたまいい幽閉記の韓国語訳本が、歪曲しまくりと聞いたことがあるが、事実なのかな。
韓国語訳本は、幽囚記ではなく報告書というタイトルだったか。どちらが原文に忠実なのかな
>>3
これ知らなかった。図書館で借りて読んでみるか。これだけひどい扱いしてたのに、オランダとの交流の歴史とかオランダに言いまくってたよな。
>>12
韓国人は歴史の肝心な部分だけ忘れてしまう民族ですから。>>1
네. 다음 화교.>>15
ハメルは日本に行く途中、船が壊れちゃって、済州島に流れ着いたんだよ。>>7『証拠が無いと言われ腹がたったので証拠となる映画を作った』これ朝鮮以外の国では『捏造』って言います。証拠は作る物ではなく探す物です。
>>15
トルコのエトゥールル号の逸話と、相反する事例として、有名だよ。>>15
言わせたいの?
「おまえが調べろ」(笑)>>20
16世紀のポルトガルに女性の人権意識が芽生えてたとは驚きだな。
是非、資料を提示してくれ。>>20
例えば16世紀にイスラム教の宣教師が日本に来ていたら、日本の階級制度と女性の地位を批判しただろう。
だがその内容は「神の下に平等では無い」や「女性がヒジャブを着けずに一人で出歩いている」だっただろう。
日本として問題であるかは「批判されたか?」ではなく「どの様な内容なのか?」で決まる。
あなたが「日本に問題が有って批判された」と言うなら、どの様な内容だったかを示さなくてはならない。
示せないなら「適当なイチャモンをつけただけ」という事だね。
それで、その批判はどんな内容だったの?>>20
おーい、資料まだ?。
15世紀から18世紀のヨーロッパって魔女狩りの時代やからね。ポルトガルだって当然影響下だったんだろうし、キリスト教の宣教師が異教国日本の女性の地位批判なんて面白そうなネタやん。
早く提示してほしいなw。
今頃必死にかき集めてるのかな?。
네덜란드인 하멜의 눈물겨운 헬조선 탈출기
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